2017年8月31日木曜日

海女さんの天草のところてん

空気がむわっとする。

今年の春、久しぶりの一人暮らしを始めたわたしの家には、クーラーがない。
小さい扇風機がひとつだけ。

ベランダからのぞく空は眩しくて、外気温は33度だという。

まっ昼間になるとじっとしているだけでわたしの熱量を感じる。
あぐらをかいた膝小僧の裏側がぺっとりと張り付いて居ごこちが悪い。
キーボードを叩く指を止め浴室に向かう。
手桶でぱしゃっと体を濡らし、昨日沸かした余韻の残る湯舟に浸かる。

何度目かの浴室に向かうとき、ふいに台所に足が動いた。
ひんやりしたところてんのイメージ。
天草!
すぐさま乾物箱をひっぱり出してひっかきまわし、カサカサした白っぽいかたまりに手がたどりつく。

おととしの夏に手に入れたもの。
3週間かけて魚突きしに、山陰と四国をカブで巡ったときの帰り道。
志摩の海女さんのまち、相差(おうさつ)に立ち寄った。
志摩の海女さんが身につける海の魔除け「セーマンドーマン」が気になっていて、その地に引き寄せられていた。

相差にはセーマンドーマンと関わりのある「石神さん」があり、参道にはおばあちゃんが店を構える露店がぽつぽつとある。
その露店のおばあちゃんこそ海女さんだ。
八十歳ぐらいに見える彼女が牡蠣やアワビを採っているのかわからないけれど、ワカメや天草などを採り、乾燥させたものを店先に並べている。
それらは海にいた頃とすがたが違っていて、わたしには見覚えがない。
おばあちゃんは戻し方や食べ方を教えてくれた。
海女さんのおばあちゃんの、いくつかの海藻と天草をいただいた。

港の方へ出るとたくさんの船が浮かんでいて、黒ずくめの人たちが見える。
ウェットスーツを身にまとった、親近感をおぼえるぽってりとしたシルエット。
「おばちゃん」と呼ばれるにふさわしい人。
大柄な笑い声や話し声が朝の港に馴染んでいる。

港は船が入り混じり、男の人と黒い女の人が入り混じる。
海の方から戻ってくる船。
入り混じった港からすいーと出ていく船。そこにも男の人と、黒く丸っこい女の人がいた。
海のまん中で船はとどまり、黒い女の人はざぶんと、海へと消えてしまった。

船のない、離れた浜にはおばちゃんがふたり。
声はなく、静かにゆっくりと準備をする。
ひとりは黒いウェットスーツを身につけて、浮き袋を抱え、浜から海へと入ってゆく。
ひとりは浜辺で、黒く丸っこい姿をじっと見送る。
肩が、心もとなく小さく揺らぐ。
ゆっくりと、ゆっくりと、黒い姿は海に消えていった。





水に浸かった天草は柔らかい海藻に戻っていた。
大鍋にたっぷりの水を火にかけて、白い海藻を踊らせる。
ふつふつと、立ち昇る湯気が顔に届き、ほのかな磯の匂いが鼻を撫で、湿り気を残していく。

じっくりと煮込んだ海藻を布で漉すと、とろりとしたお湯ができあがった。


陽がかげり、昼間の熱気が冷めた頃、それはところてんになっていた。

口の中でこりっと広がる海の味。
あの、志摩の景色の記憶が通り過ぎる。