2015年12月11日金曜日

記事を掲載していただきました

先月のことになりますが、TANPENアワード受賞の件で青葉区版タウンニュースに取材していただき、記事を掲載していただきました。

「冒険エッセイ」で大賞



受賞作品が掲載されている「とつげき!シーナワールド!!4」を持って、写真も撮っていただきました。

また、「人物風土紀」という記事でも取り上げて下さっています。
公募新人短編文学賞「第1回TANPEN AWARD」大賞を受賞した 阿部 静さん

ほぼ初めての本格的な取材にどきどきしてしまい、ずいぶんといろいろなことを聞かれ、素直に包み隠さずお話した次第でございます。。

このような記事が上がってきて、ほほぉ〜なるほど、という感じでした、よ。

2015年12月6日日曜日

第1回TANPEN AWARD大賞受賞のお知らせ

先日、クリーク・アンド・リバー社主催の冒険エッセイを募集する
「第1回TANPEN AWARD」にて大賞を受賞させていただきました。

 『第1回TANPEN AWARD』 大賞受賞作品 決定! 椎名誠氏が選出した稀代の"冒険ガール"が作家デビュー!

 わたしは美術をやる傍ら、相方と細々と旅をし、今年から細々と旅での経験をこのブログに書き始めたわけですが、3月のアタマに雪洞とイグルーを作って旅をすることをして、それはわたしにとって結構なことを成し遂げたわけで、いてもたってもいられなくなり、しっかりと文章に書いておこうと思ったのです。
なので、そのことについてはこのブログには一切載せていません。
ブログに書くというよりも、エッセイのかたちをとった作品に落とし込みたいと思ったので。
 書くならば、と思い、エッセイの公募に出してみようと思い立ちました。
対象がわかる相手に向けて書いた方が気合が入るし、期限があったほうがダラけなくていいかと思ったので。それから賞とか取れちゃったりしたらいいなぁなんていう期待も込めて。笑
 でもエッセイのコンペってそんなに多くないってことがわかったんです。
小説とか絵本とかならいろいろあるようだけど、エッセイとなると見つけても、大概テーマがあったりして、そのテーマに沿ったかたちで書かなきゃならなかったりして。
このテーマならいけるかなぁと思ったものもあったのだけど、やっぱりどうもしっくりこなくて踏みとどまって。
 そんなこんなでちょこちょこ文章を書き始めつつ公募を探していたときに見つけたんです。

【作家 椎名誠氏が審査 公募新人短編文学賞 『第1回TANPEN AWARD』
次世代を担う 「冒険エッセイスト」 求む】


 これだーー!!
っていう出会いでした。
いや、わたしがやったことは「冒険」って言えるほどの大それたことはやっていないんです。
しかし、ほかにしっくりくるようなコンペはなさそうだし、見方によっては「冒険」と取れるかもしれないと思い直したりして。
とにかく、これに向けて書いてみようと思ったんです。
なんてったって椎名誠さんが審査員とか。これは出すしかない!と心に決めて。

どうにかかたちにして、わたしが持てるものを出し切った感はなんとなくありました。
が、、送ったあと、よくよく考えて、まぁ甘い期待は持たないほうがいいだろうと。
きっと百戦錬磨の冒険家とか、すごい書き手も応募しているに違いないと。
 そんな考えが頭の中を占めたので、緩やかに忘れさっていったのです。
・・・やっぱり甘い期待もほんのりと抱きながら。笑 
本当に少しだけ。アタマの隅っこにね。。

そして真夏の西日本の旅の途中、ついに事は動き出したのです。
そう、甘い期待が現実になったのですよ。。!!
そのときのことを簡略的に言うならば、ビックリ仰天です。笑
、、しかし実のところ、そのときはなんだか現実味がなく、自分のことではないような気がしてずっと素直に喜べなかったのですが。。
まあ、いろいろな記憶をひっくるめて思い起こすと、やっぱりかなり衝撃的ではあったようです。自分史上初の快挙ですし。。照


そんなわけで、ドカンと大賞受賞させていただきまして、椎名誠さんがプロデュース
する雑誌「とつげき!シーナワールド!!4」にも受賞作品を掲載させていただいてます。

 旅ゆけばヒトモノケモノバケモノと会う とつげき! シーナワールド! ! 4 単行本

アマゾン、 紀伊国屋書店、丸善ジュンク堂書店、文教堂などでお買い求めできますのでよろしくお願いします。


この賞を受賞するとともに作家デビュー?させていただきましたので、多くの皆様に読んでいただけますよう正々堂々と書いてゆきたいと思います。

このブログもうまく使えずに未だにあんまり機能させていないのですが、、汗
これを機に、もっとブログよりなツールとして定期的に旅のことや、その準備やら、また、旅に通ずる日常の暮らしのことなどを肩肘張らずに書いていきたいと思います。
・・・そもそも今まではこのブログに旅の記録をがっつり書いてたからどうも気張っちゃってあんまりうまく使えてなかった気がするのです・・・

まぁ、気を取り直してばしばしと綴っていきたいと思います!

なにとぞよろしくお願いいたします。


阿部 静



2015年9月26日土曜日

高島トレイルー駒ケ岳〜百里ヶ岳

高島トレイルを少しだけ歩いた。

高島トレイルは琵琶湖の西側にある高島市から京都へ抜ける尾根伝いの山道で、中央分水嶺となっている山脈でもある。
今回は山に入っていられるのが3日間だけなので、80キロほどあるトレイルを全部歩くことはできないから興味を引いたブナの原生林が多いエリアである駒ケ岳・百里ヶ岳を歩くことにした。
それからネットで調べていて、偶然写真で見つけた美しい森があった。京都大学の研究林である芦生原生林だ。そのエリアは高島トレイルを外れるが歩いてみたくなったので百里ヶ岳から天狗岳を経由して研究林を通り下山するルートを立てた。

夜行バスで京都に朝到着し、それから電車とバスをいくつか乗り継いで駒ケ岳の登山口である木地山に着いた頃には13時をまわっていた。乗り継ぎの時刻は全部調べてきたので予定通りだ。
登山口は畑になっていて、しかも獣除けの網が張ってあり分かりづらかった。
最後に乗り継いだ市営バスの乗客はわたし一人だけで、気のいい運転手のおじさんと行きすがら会話をした中で登山口の分かりづらさについても教えてもらっていたので迷わなかったが、その情報がなければ明らかに戸惑っただろう。

山に入ってからすぐに沢で水を汲んだ。地図を見ると最初の沢からテン泊予定地まで水場がなさそうなのだ。(しかし進んでみると尾根に登る手前までずっと沢沿いの道だったので後で後悔することに。。)
今回のために買った携帯浄水器が早速活かされると思うとちょっとわくわくした。
手に入れた浄水器はSAWYERというものでコンパクトだし山で使っている水汲みボトルやペットボトルの口にも接続可能なので流用性があって便利だと思う。
これで沢水を飲んでいいのか少し心配になるほどちゃっちい見た目だけど有害なバクテリアなどは全部フィルターでカットしてくれるという説明がちゃんと書かれていたので信用してがぶがぶ飲んじゃうことにした。

このへんの山はあまり登山者がいないのか或いは自然保護の意識が高いのか、日本アルプスのような過剰な道標はない。しかも全体的に低い山なので地形を目で確認するのは難しく、広葉樹の広がる木々が茂った山なので迷い易い。コンパスと地図、或いはGPSが必須だ。


わたしは尾根に上がるまでのあいだ、さっそく道を間違えて登山道からズレてしまい、踏み跡のないズルズルの傾斜を足で少しずつ削ってちょっとずつ登ってはGPSで方向を確認しながら進むという余計に体力と神経を使うことをしてしまった。
しかし尾根に上がってしまえば必然的にルートに合流することになるので心配することはなかった。しかも尾根道は遮るものもないのでわかり易い。もう変な迷い方をすることはないだろう。
少し汗をかいた体に尾根特有の強い風が当たり心地よく感じる。

さっそくブナ林が現れた


尾根道は上がるまでの山道に比べれば急勾配の坂はあまりないので余裕ができ、まわりの景色を観察できるので楽しく歩ける。
キツイ山道をはぁはぁ言いながら登っているあいだはいつも景色なんか見ている余裕はないのでストイックな行為に感じてしまう。だから朗らかな気持ちで歩きたい時はできるだけ登るばっかりの山は避けたいのだ。(←軟弱?笑)
疲れなければ多くの発見がある。標高の高い山の景色はそりゃあ素晴らしいものだけれども。
疲れずに歩きたいということもあるが最近は広葉樹の深いシンとした、美しい森に魅力を感じるのでそういうところを歩こうという心境になる。


美しいブナの森というのはきれいな沢が流れていてたくさんの植物や動物の住処でもある。目で楽しむことができるし、生き物の気配も感じる。
そして勿論クマだっている。
このエリアは自然が深いだけクマもたくさん棲息していると聞いていたのでちょっとどきどきしていた。クマの爪痕が残された木も所々に点在しているので確実にクマがいることがうかがえる。身の危険に晒されない距離でだったら見てみたくもないが鉢合わせたくはない。(っていうか鉢合わせたら死ぬ。苦笑 まずないとは思うけど)
なので今回は一人山歩きということもあり、できるだけリスクを回避するためにもクマ鈴を手に入れてつけて歩いてみた。
あんまり大きいのはなんだか恥ずかしいので控えめに中くらいのにしてみたら山の中では思ったよりも響かず頼りない感じがする。でもないよりマシだ。

おそらくクマの爪痕。時間が経ったものなのか、削られた部分が赤く変色している。
途中で後ろからゴロンゴロンと低い鈴の音がした。驚いて振り返るとトレラン風の格好のお兄さんが見えた。この山に入って初めて会った人だ。
少し話してから爽やかにわたしを抜いていった。
ザックに付けた大振りのカウベルはお兄さんの姿が見えなくなっても響いていた。完全にわたしの鈴の音はかき消されてしまっていたのでそのサイズにすればよかったのかと後悔しながら音を見送った。
後からふと思ったが、ザックの容量はわたしと同じくらいで歩くテンポと雰囲気からして、もしかしたら高島トレイルを全踏破しようとしているんじゃないかと思われるような感じ。勝手にそう思い込み、ちょっと尊敬した。

駒ケ岳を過ぎて、1日目の目標は木地山峠辺りまで歩くことだった。タイムリミッドは暗くなる頃の18時まで、或いは疲れて歩きたくなくなるまでとした。
木地山峠までの道は地図に迷い易いと記されていて、記載通りに何度か道を間違えた。
その付近はシダ類の植物が腰の辺りまで茂り、尾根の形がわかりづらくなっているのだ。
それで尾根だと思って進んでいくと変に下っていくような、あれ、おかしいなという雰囲気になり、GPSで確認してみると違う尾根を下ってしまっているということが発覚し、また登り返して軌道修正するということを何度かやった。
そんなことで時間をくってしまったので木地山峠には届かないかなと思っていたら案外予定よりも早く着くことができた。
その付近はテン泊適地との情報があったのでその辺りで張ることを想定していた。腐葉土の開けた平な地面が多かったのでやはりバッチリ適地であった。
時間的には17時過ぎと予定より少し早いが先に伸びる尾根道を見ると地面の面積は狭まるようだ。地図を見てもそれが分かるので地形的にはここで張ることがベストに思える。
しかしひとつ不安なのが付近にクマの爪痕が残されている木が多くあることだ。しかもまだ新しいように見えるのでこの付近にいる可能性がある。
歩みを進めてテントが張れない場所で暗くなることと天秤にかけてみたがちゃんとした地面で張れることを優先することにした。
何よりも体が思った以上に疲れていて休みたいと言っている。
クマに鉢合わせたらそれも運命、わたしの運が悪かったと思うことにしようと自分に言い聞かせた。
それでもできるだけ爪痕のある木から距離を置いた場所にテントを張った。
食事もテント内ではとらずにテントから少し離れた場所で調理して食べた。
でも本来は100メートル以上離れた場所じゃないと意味がないらしいので気休めにしかならないが。。
クマの活動時間は夕方と朝方だと聞いたことがあるので外で調理をするあいだもクマに自分の所在を知らせるかのように大声で歌ったり大げさに音を鳴らしたりして過ごしていた。 誰も居ない山だからこそ誰の迷惑にもならないが生き物にとってはいい迷惑だっただろう。笑

テントに入ってからの夜は長く、ローソクを灯し、ワインを飲みながら本を読んで過ごした。
ワインのおかげでウトウトしてきたので時間も丁度いい、よし寝よう、と思って寝袋にすっぽり入って寝に入る。そうすると、外の音が異様によく聞こえ、風の音が生き物のざわめきのように聞こえるのだ。外の世界が見えないので風で木々が擦れる音なのか、本当に生き物が動き回り、近くにいるのかは分からない。ただ、分からないからこそ音の正体が気になり出し、想像が掻き立てられ不安が募ってくる。そして眠れなくなるのだ。
そういう時は自己暗示をかけて不安をなくし、あとは何も考えないようにする。
それはなかなか難しいことなのだが、気づいたら何度か浅く眠った感覚はあった。

近くで獣の鳴き声がした。仔鹿なのか仔熊なのか、わたしには母親とはぐれた子どもの鳴き声に聞こえた。仔熊だったらと思うと怖くなり身を潜めたが、その甲高い鳴き声がいつまでも止まないのでなんだか可哀想になり恐怖も薄れていった。そしていつの間にか眠っていたようだ。次に眠りが途切れたときには鳴き声も止んでいて、体を横にしているのもそろそろ辛くなってきた。
時計を見たら3時過ぎを回っていたのでもう起きてしまうことにした。

テントの隙間から外を覗くとまだ真っ暗だった。
夜の森を直視すると不思議と恐怖は消えた。
眠れなければ歩き出してしまえばいい。よし、初めてのナイトトレッキングを楽しんで朝日を山頂で拝もうじゃないか、という気分になった。
それにしてもまだ時間があるので体を緩めながらゆったりとパッキングを始めた。
ざっくりパッキングをし終えてテントの外に出るとひんやりとした空気が気持ち良い。
真夜中の森もなかなかいいじゃないの。
準備体操をするようにテントを撤収し、全部のものをザックに詰めたらナイトトレッキングに出発した。

ヘッドライトを頼りに歩くが足元しか見えず、まさに一寸先は闇。
ただのまっすぐな尾根の一本道なのにどこを歩いているのか分からないのでiPhoneのライトでも照らしたら少しマシになった。
帰ったら、もっと明るく照らしてくれるヘッドライトに買い換えようと思った。

ライトを照らしたところの木の生え方と地面の状態を見て進む方向を判断した。
ところが分かりづらいところはいくつかあっていつのまにか尾根からズレて山の斜面を歩いていたりするのだ。気づいたらGPSを見て道に戻る。
さらに先へ進むと地形も紛らわしくなってきて尾根の方向も何度か間違えた。
暗いと余計迷いやすいので逐一GPSで確認しながら進んだ。

日中に歩くときの倍ほどの時間をかけて峠を歩いた。
山のかたちが見えないことがこんなに苦労することだとは思わなかった。
空が白み始めて徐々に回りの景色が見えるようになってくるのが嬉しかった。
なにか生き物のようなうめき声が聞こえるが気にならなかった。
もうクマなんてどうでもよくなっていた。

次第に空は明るくなり、美しいブナ林を登っていることに気がついた。
朝靄に包まれ、森全体が瑞々しかった。



山頂の手前で木々の切れ間からちらっと朝日が見えた。
 覗いてみると雲海のような靄が低い山々の上を覆っている。
どうやら山頂で朝日を拝むことは叶わないようだけど、今見えているこの景色で十分だった。



百里ヶ岳の山頂は開けていて苔や小さな植物が生えていて、なんだか可愛らしい場所だった。ここでテントを張ってもよかったのかもしれないとふと思った。



そして登る途中で気づいてしまった失敗。
それは水が足りないということ。
この先4時間ほどの峠道を歩き、三国峠を下るまで水場はないのだ。
4時間も歩くとなると一度食事を取らなければきつくなる。だが炊事をするほどの水が残っていないのだ。
この道のりを残りの水だけでやり過ごすほど今のわたしには体力が残っていないと感じた。
もう一つの選択肢である百里ヶ岳から下山するルートを行くしかなかった。
下山するとすぐに沢にぶつかるのでそこで水を確保してからまた登っていくこともできる。
しかし水が足りないとわかったとき、もう今回はこれで充分だと思った。
美しいブナの森を随分歩いた。朝日も雲海も見れた。
体が、もう充分だと言っている。
本音のところ、今回はもう無理をしたくない。

よし、帰ろう。

次に来るとしたら紅葉の時季に訪れよう。

2015年5月17日日曜日

式根島キャンプー2日目ーその2【ウツボを捕る】

吹の江の海の中はあまりにもきれいだったので泳いでいるのが楽しくて、いつまでも泳いでいられる気がしたが、それでも体の冷えは感じるものだ。


海から上がるとすぐに全身が震えだした。



体に当たる風が冷たい。

荷物を置いている岩場に戻り、保温用に持ってきた化繊ジャケットを羽織る。
それでも震えは止まらないので岩の上に俯せに寝転がってみた。

岩が溜め込んだ太陽光の熱を感じる。
あたたかい。

風は強いが幸い陽は照っていて、寝転がっていると岩の熱と太陽の日差しが体を少しずつあたためてくれる。

そうして体を暖めながら岩場をごろごろし、目先にある潮溜まりの中をなんとなく眺めていた。

すると、岩の間を長いなにかがにょろっと通った。

ぼーっとしていたので何者なのか分からずたじろいだ。

近づいてよく見るとウツボだった。

 これは仕留めるチャンスなのかもしれない。

潮溜まりなら逃げ場もないだろう。

ただ、わたしは 銛を持っていない。
それから、獲物も仕留めたことがない。

ウツボは凶暴そうだし素手では厳しいだろう。

下手に手を出すことはやめて、居所を凝視し、相方が海から戻るのを待つことにした。

、、、正直なところ、銛を持っていたとしても真っ向勝負で銛を突き刺すなんてことは勇気がなくてできなかっただろう、、


水から上がる音がした。

ウツボのことを伝えると、すぐさま獲物に向かう。

岩陰の下に隠れていたはずが、いつの間にどうやって移動したのか、少し離れた別の穴から顔を覗かせた。

向こうもこちらの存在に気づいたようで、わたしを睨み、口を開けて威嚇する。

ほかの魚ならこちらの存在に気づけば逃げるものなのに、一歩も引かず立ち向かうなんて。
なんて堂々とした魚だろう。


そして、その横から相方が銛で狙いを定める。


 緊張した空気が張り詰める。


一撃だった。

首にしっかり命中した。

ウツボはのたうち回る。

銛にギュっと体を巻きつけた。

蛇のようだ。

刺されても、口を開けて怒っている

指で解こうとしても全く緩まない。

かなり強い力だ。

ウツボの防衛本能らしい。

これをほどくためには息の根を止める必要がある。



ナイフで目玉を刺した。

そうしてみるみる内に力を失い、銛に絡ませた体が緩んだ。

体を伸ばしてやる

海水で流れた血と、ぬめりを洗う



あれだけ急所を刺されても、しばらくの間、ウツボは生きていた。

なんて生命力の強い生き物なんだろう。


突き刺されても尚、闘争心むき出しで、死に物狂いに暴れていたウツボという、この海の生き物が、海の世界の厳しさを物語っている気がした。


その一部始終はショッキングでもあった。
だけど、目の前で殺された生き物を後で美味しいと言いながら食べている自分を想像すると、この一連の流れに対して目を逸らすことの方が生を全うしたウツボに対して失礼だと思った。

むしろ自分の手を汚さずに、可哀想だという気持ちも抱きながら、ただ死ぬまでを眺めていたのに、この生き物を食べようとしている自分がずるい。

これじゃあいいとこ取りじゃないか。

 自分でできることなら自分ですべきだという気持ちが掻き立てられた。

正々堂々と海の中で戦い、自分の手で獲物を仕留める必要がある。

それには少なからず危険が伴い、こっちだって命がかかってくる。

それが生き物の世界では当たり前だし、本来、捕食者になるということはそういうことだと気付かされる。

せめて、自然の中に加わるあいだは食べることに責任を持ちたい。













2015年5月16日土曜日

式根島キャンプー2日目ーその1【吹の江】

式根島に来て2日目。
いい天気。
この日は吹の江に行ってみることにした。

吹の江はキャンプ場に面している海岸の隣に続く入江だが、入っていく場所がわかりづらいらしい。

釣りのスポットとして知られているので 釣り人はそこへ行くようだけど海水浴場にはなっていないようなので、この季節泳いでいる人はまずいないだろう。

しかし、そうとう綺麗な場所らしい。
人があまり入らないだけ環境が保たれているのだろうか。



吹の江の行き方をブログに書いてくれていた人がいたので、それを参考に向かってみたがやっぱり入り口が非常にわかりづらく、随分彷徨った末、入江への道を見つけることができた。

藪漕ぎしていくと見晴らしのいい、崖っぷちの道に出た




吹の江に着いた


楽園って、こういうところをいうのだろうか。

色とりどりの苔、海藻、珊瑚、海の生き物。

かといって、陸地の植物のような派手さはないのだが、海独特の色彩の、華やかな世界が広がっていた。


地上から浅瀬を見下ろすと水中の様子がよく見える
水面の揺らめきと水中に散る小さな魚の群れ、海藻の色彩が相まった景色になっている



海に潜ってみると海藻がかなり茂っていて、思ったよりも深さがあった。

海藻の茂みの上を泳ぐ。

森の上を散歩しているような感覚だ。
 上から茂みを眺めるという立ち位置は空を泳いでいるような、なんとも不思議な感覚になる。

たまに浅くなると海藻の森のなかに分け入っていくように泳ぐ。

この環境は陸上の森にも似ていて、また、この水中散歩は森の中で散策する感覚にも近いと思った。


今回海に潜るまで、泳ぐことは肉体を駆使し、疲れてしまうような運動だと思っていた。
それは今までわたしが水泳の感覚で接し、ゴーグルをつけ、上手じゃない息継ぎで海水を飲み込んでしまいながら泳いでいたからだろう。(なので磯遊びの方が好きだった)

シュノーケルをつけて、水面に浮かび、脈拍を穏やかにし、漂うように腕や足を動かす。
疲れを感じることはなく、ただ浮かんで眺める景色がこんなに美しく、楽なことだとは思ってもみなかった。
そして、水中の散策に没頭できるのだ。



海は果てしない。

水面に浮かび、深いところを眺めても、深すぎると海底は見えない。

わたしには計り知れない深い海だってある。

海のもっとも深いところなんて、人間は行くことができない。

宇宙にさえ、人は行っているのに。

深海一万メートルにはどんな世界があるのだろう。


もし、海の水がなくなったら、どんな森が現れるのだろうか。


潜らないとわからない、海の世界が気になる。



2015年5月10日日曜日

式根島キャンプー1日目ーその4 【渡り蟹のパスタ】

キャンプ場に戻り、着替えを済ませてから早速調理に取り掛かる。

手のひらに収まるサイズのカニたちはまだちゃんと生きてくれていた。

それを丁寧に一匹ずつ、オリーブオイルを熱したコッヘルに入れる。
はじめはじたばた抵抗するが、すぐに力を失い、息絶えて、殻の表面が赤くなる。

現地で生き物を調達して食べるとき、死の瞬間はつきものだ。
その瞬間に立ち会うとき、毎回どぎまぎしてしまうのだが、冷静を装うようにしている。
 自分が捕食者である以上、最初から最後まで対象と向き合うことが食べることだと思っている。
日常の生活ではそれがままならないが、野外で活動しているあいだはそれを積極的にしたいと思っている。
単純に、採れたてのものをおいしく調理して食べるということが幸福だということでもあるけれど。



完全に火を通し、殻がカリカリの素揚げ状になったところでヘラで潰す。
 カニ味噌の旨味と油をよく絡ませる。

4匹のカニを全て揚げたらそこらへんに生えている浜大根の実をむしり、一緒に炒め合わせる。

少し塩を振って出来上がり。

式根島キャンプー1日目ーその3 【ロッククライミング】

海岸の岩場歩きは面白い。

山はここ数年よく行っているので山の岩場なんかは歩き慣れているけれど、ここの海岸の岩場は山のそれとは別物で、火山岩だからか岩が崩れることもなくて歩きやすく、凸凹の引っ掛かりがたくさんあるから登りやすい。
 天然のボルダリングジムだ。

それでも天然だから登りづらい難所もいくつかあるし、下は深い海で落ちたらまずい箇所もいくつかあったので悪戦苦闘しつつなんとか進む。





中の浦の海岸に回ることはできた。
けど、大浦の海岸とあまり変わり映えしないかな、、という感じでカニを数匹と亀の手を採って元来た道を帰る。


帰りはなぜか行きよりも歩きやすかった。
コツをつかんだのかしら?来るときにここはヤバイ!と思った難所も冷静に足と手を置く場所を選べばそこまで難しいものでもなかったようで。
もう無理だ!と思ったときも探して頭と体を駆使すれば意外と突破できるんだなぁと実感。

大浦海岸に戻ると、行きよりも潮が満ちていて、歩いて通れた岩の道がなくなっていた。
泳いで帰るしかない。

動いて体はあったまっていたのでまた海に入ることはしんどくないが、保温ジャケットや濡らしたくないものが入ったザックを背負って泳がなければならなかったので気をつける必要があった。

ザックの内側は防水コーティングされていて、 さらに防水性の高いスタッフサックを二重にしてしまっていたので大丈夫だとは思うが完全防水の生地ではないので極力海水につけないようにする必要はあった。

背泳ぎで、ラッコみたいにおなかに荷物を持って運ぶ方法を考えたがなんだかうまくいかなかった。

いーや、もう。という気持ちで結局そのまま背負ってなるたけ沈まないようにして泳いでいくことにした。


陸地にたどり着いて確認してみたら、外のザックは結構濡れてしまったが中までは浸透していなかった。
作戦成功?

2015年5月9日土曜日

式根島キャンプー1日目ーその2

ランニング用のロングスパッツに、それと似たような素材のフィット感のあるTシャツとアームウォーマーを着用する。それから沢足袋に、ホームセンターで買ったネオプレンのグローブ。

そんな格好。

ウェットスーツやマリンスポーツ用の衣類は持っていないしわざわざ今回のために用意はしなかった。

ちょっと海入ってカニとか採りたいなぁってぐらいのノリだったので。

相方はラッシュガードみたいな沢用のロングスパッツで少しは防寒できてるけどだいたいわたしと同じ格好で。

でも魚突きたい気持ちもあったので銛は持ってきたようだ。


潜りやすいポイントまで岩を伝って歩いていく。
この時期の水温はまだ低いのでなるたけ海水に浸からないようにする。

それにしても、本当に綺麗な海。
南国の海遊びは今までしてこなかったからだと思うけど、こんなに透き通った青い海に入るのは初めてかもしれない。


いいポイントの岩場に着いた。
少し海水浴場から離れたので人の介入が少ないのか水草が濃く、岩の色や透き通った海の色がなんとも言えない色彩。

背負っていたザックを降ろして海の中を覗いてみる。
吸い込まれそうだ。


足を恐るおそる水面に入れてみる。
ひやりと冷たい。

一度足を陸地に戻し、一呼吸。
それからえいやっと両足を海水につけ、腰まで滑り込ませる。

うーわー。むちゃくちゃ冷たい。
が、勢いで 上半身まで浸かってしまう。
それからシュノーケルをした顔を水につけ、体を水面に預ける。

体から力が抜けてふわっとする。
もう、こっちのもんだ。

シュノーケルで海の中を眺めると、意外に深く、海底には海藻が茂っている。
陸から眺めるよりも美しい世界が広がっていた。

ゆるく泳ぎながら漂ってみると熱帯地域にいそうな色彩の小さな魚がたくさん泳いでいる。
蛍光色のような薄水色の珊瑚礁もいたるところにあり、鮮やかで、華やかで、こんな海を泳いだのはやっぱり初めてだった。


水の中にいると意外に寒く感じなくなるが、それでも10分も泳いでいると体の冷えが伝わってくる。

海から出ると、さっきまで暑くて心地よかった風がすごく冷たく感じ、体が震えてくる。
 海から上がってきたときのために持ってきておいた保温のジャケットをはおると少しマシになった。持ってきておいてよかった。

相方も海から上がってきて、採れそうな獲物はいなかったので岩を伝って隣の中の浦海岸に移動することにした。





式根島キャンプー1日目ーその1

キャンプ場に到着して、受付を済ます。

式根島にはキャンプ場が2箇所あるけれど、ゴールデンウィークと7・8月は大浦キャンプ場でしか泊まれないことになっている。
どちらも無料で、水や炊事場もあるので連泊のキャンプには向いていると思う。

ただ、混み具合はハンパない。

キャンプ場の敷地は結構広いけれど、どこもかしこもテントで埋まっている。

2人で手分けして場所探しをして、まぁここが一番いいかな、と思える場所に落ち着いた。
角のスペースだからテントで遮ってプライベートの空間が作れるし、海から一番近い場所だ。

テントを張ってザックから荷物を出して、これから4日間生活するテント内のしつらえをする。
クーラーボックスなどは持ってきていないので食料などもなるたけ傷まないように比較的涼しいところに置いておく。


一息ついたところで眠気が、、
船の中で寝たとはいえ、前日の寝不足と暑さで疲れが出たのかちょっとお昼寝。
キャンプ場は砂地になっているので木陰にマットをひいて横になるだけで気持ちいい。
春と夏のあいだに吹くような心地よい風が顔を撫でる。


そうして少し眠って、目が覚めたら空腹だったので少し早めの昼ごはんを取る。

島に来る前に有楽町のおいしいパン屋さんで買ってきたバゲットにスライスした新玉ねぎとベーコンと目玉焼き、チーズを挟んで食べた。

それぞれの素材が元々おいしいってこともあるけど、こうやって砂浜の木陰で調理して食べるのは格別においしいと思う。


船の移動疲れと眠気はまだあったけれど、最高に海日和の天気で、目の前には海があったので入らずにはいられなかった。

式根島キャンプ 【移動の船旅】

ゴールデンウィークの休みを利用して4日間、式根島で過ごしました。

式根島は、伊豆七島のうちのひとつの小さな島。自転車だったら1日でまわれてしまう。
はじめは自転車を借りてしまおうかとも考えていたけど、結局最終日まで借りることには至らなかった。


前日の夜、竹芝から出航する「さるびあ号」に乗船し、8時間の夜間の船旅なので朝までがっつり眠りました。

 
さるびあ号のデッキから見えるレインボーブリッジ


朝になって目が覚めて、デッキに出てみる
船から見えた島



式根島が見えた

船と港を接続する橋を渡そうとしている


朝、8時半頃、式根島に到着。
もう太陽はずいぶんと昇っていて日差しが暑い。

役場で島の地図を物色し、主だったものをいただいてから 大浦キャンプ場を目指す。

2015年2月4日水曜日

冬の安達太良山ー沼尻温泉へ? 1/2/2015

1月2日、

朝6時半、くろがね小屋で朝食のおせち料理をいただき、(おせちが出るとは思わなかったのでテンション上がった)小屋を出発する人たちから一歩出遅れてわたしたちも出発した。



実は、この日に目指す方向を直前まで決めかねていた。



はじめに、冬の安達太良山に行きたいと思ったきっかけは、

・買ったばかりのスノーシューを試すこと、
・くろがね小屋に泊まること、
・安達太良山の反対側にある野 湯・沼尻元湯で入浴すること、

この3つをやりたいと思ったことからだった。


しかし、調べるうちに沼尻温泉側に出るのは難しいということが判明。

トレースがまずないので、夏の安達太良山を知っていて雪山の経験値がある人でなければ 行けないようで、ほとんど情報がなかったのだ。


このルートは、わたしたちには難しいだろうということを頭ではわかっているものの、なかなか諦めがつかなかった。

正直、ここまで来て、試してもいないのにハナから諦めるのはちょっと嫌だった。

多分、相方も同じ気持ちだったのだろう。


沼尻温泉を目指すのか、下山ルートをとるのか、どっちとも決まらない状態でスノーシューを履き、グローブをし、出発するためにしっかりと防寒をして外に出てみる。

吹雪いていた。おそらく前日よりも。

それでも思ったよりも視界が悪くないと思える。

わたしたちは同じ考えだった。

ーとりあえず、途中の鉄山まで目指してみよう。 だめだったら引き返せばいい。ー




途中まで、行きに通った安達太良山山頂方面を進み、牛の背方面への分岐に出た。

くろがね小屋を先に出た団体に追いついたが、彼らは山頂方面へ消えていった。


わたしたちは牛の背方面へ。

牛の背に出れれば稜線沿いに北へ進むと鉄山にたどり着ける筈だった。

竹竿にピンクリボンの道標はなかったが、かろうじて夏道で使う岩に印した赤丸印を見つけることができたのでどうやらこの方向で合っているだろうという安心材料になり、それを辿っていった。

また、途中までトレースが残っていたので誰か通ったのだろうか、それも頼りにした。



しばらく行くと、夏道のしるしもトレースもなくなってしまったので少し焦った。

尾根のようなところが 見えたのでそちらに上がってみたが、どうやら違う。
目指す方向が北を向いていないので牛の背ではないようだ。

さらに、方位磁石の指す方角がなぜか定まらなくてあまり当てにすることができないので少し途方に暮れていた。


自分たちが立っている尾根はひたすら風が強く、相変わらず天気も悪いので山のかたちさえよく見えないのだが、先ほどいた地点からかろうじて見えた黒い岩山がどうにも怪しいので、ここにいてもしようがないということで、確信はないという危うい状況だったがその岩を目指してみることにした。





雪が吹雪く中、見え隠れする黒い岩山を頼りに新雪の斜面をラッセルしながらトラバースして、ゆっくりと近づいていく。



近づくと岩は連なっていて、上がれそうなところから上がってみるとそこは尾根だった。

先の方までは見通せないけれど尾根が続いているようだ。



そして、登ってきた斜面の反対側には盆地が広がっていた。

わたしが思うにそこは沼ノ平なのではないかと。

右に続く尾根を行けば鉄山にたどり着くのではないか、、


けれどもコンパスは狂うしGPSは持っていない、考えを裏付ける情報はないので自分の思い込みを信じることはでなかった。


思い込みで突き進んだとして違ったら遭難してしまうだろう。


もし本当にこの盆地が沼ノ平だとしても、この果てしなく広い盆地に入って方向を見失ったら確実に迷うし硫黄の濃度が濃ければ危険なので沼ノ平に入ることは避ける必要があった。


そんなことを考えたり相談したりしながら2人でうろうろと盆地に降りたり、ああでもないこうでもない、とやっていたが、尾根に上がったときに諦めがついた。


尾根は本当に風が強くて立っているだけで精一杯だったのだ。

事前に見た予報によると風速は23mほど、気温は-15℃。


強風に飛ばされた雪が、顔の皮膚が出ている部分にばちばち当たってかなり痛いし、体感的にはもっと寒くて風ももっと強いんじゃないかと感じるものだった。


バラクラバで覆っていた口の部分など、湿気を含んでいたので氷になっていた。

眉毛やまつげもバリバリに凍る。




この状況を撮影してみようと試みたが、わたしの古いコンパクトカメラとiphoneは電源を付けてすぐに切れてしまった。
電池が凍ってしまったのだろう。


少しでも足を動かしたら吹き飛ばされてしまいそうで、ほんの少し、強風が弱くなったタイミングを見計らって動いた。


ようやく、もと来た道を戻ろうとしたとき、来た道が分からなくなってしまった。

下を見下ろすと、急斜面すぎてどこも降りられそうにない。

強風で自分自身が脅かされることでいっぱいいっぱいになっていたので完全に道を見失ってしまっていたのだ。

今度は強風どころじゃなくなった。

来た道すら戻れなければ 遭難だ。

これには本当に焦った。


尾根を行ったり来たりして降り口を探すも見つからず、強風にさらされ続けて途方もなかったので頭を切り替えて盆地側から山に沿って歩き、道を探すことにした。


すると、薄ぼんやりと夏道の道標が遠くに見えた!


近づいてよく見ると、(少し朦朧としていたので記憶が曖昧だけれど、、)安達太良山方面を指していた。


アタマの中が???となった。


この道標が指し示す方向と自分が思い描いていた位置関係が上手くかみ合わずワケが分からなくなってしまったのだ。


その反面、知っている場所に出れる!という安堵もあった。


もう、道標を信じるしかなかったので指し示す方向へ歩き出した。


そして歩いていくと、前方に見覚えのある景色が見えてきた。

行きに通ってきた、牛の背方面と安達太良山方面を隔てる分岐の道標が見えたのだ!


どうやら、ずっと彷徨っていた尾根を捲いて反対側のもといた場所へ戻ることができたようだ。


本当に、ほっとした。


しかし、ただただ、ラッキーだったということに尽きる。



わたしたちは反省して、無知な冒険を終了させることにし、下山のルートをとった。


無事に戻ってこれたことと引き換えに、無知なわたしたちの次回までの必須課題が浮き彫りになった、、。




【くろがね小屋ー分岐ー牛の背ー分岐】


GPS使っていないので定かではありませんが、おそらくこんな感じに歩いていたんだろうかと、、(思いたい)



夏山を見て、この山の正体を暴きたくなりました。




















2015年1月30日金曜日

冬の安達太良山【オイルサーディンと小松菜のパスタ】

2015年1月1日、

くろがね小屋に到着して、宿泊の手続きを済ませてから部屋に荷物を運び込む。
わたしたちが泊まる部屋は6人部屋で、わたしたちのほかに同室者が2人いるとのこと。

山小屋らしい山小屋に泊まるのは今回が初めてだったので部屋の使い方や荷物の置き場所など、部屋での過ごし方を探りながら楽しむことにした。

時刻は14時過ぎで、とても空腹だったので1Fの談話スペースで食事を作ることに。

1Fのスペース半分では噂には聞いていたけど山岳会の方々が大宴会をしていて、食べ物とお酒が溢れていて、おそらく大晦日から飲んでいるのだろうか、みなさん相当出来上がっていて、その酒盛りは延々と続いているようだった。
空間全体が愉快で、この空間を共有しているというだけでも、なんだか楽しい気持ちになってくる。

わたしたちはその空間の一角を確保して調理を開始。

今年初めの山ごはんは「オイルサーディンと小松菜のパスタ」。

具材はオイルサーディンの缶詰と前日の年越し蕎麦のために買って、わざと余らせておいた小松菜。
夏山や長期間の山行のときなどはドライフードになってしまいがちで栄養バランスは偏っていると思う。
今回は冬山で短期間なので、野菜も痛まないし小松菜だとそこまで荷物にならないしヘタらないので小松菜をメニューに取り入れてみた。

それから相方が作っておいたドライトマトやドライにんにくなどを合わせた特製イタリアン調味料もアクセントに。

今回のもうひとつのこだわりは生パスタ。
、、というか 、山に向かう途中で偶然、無添加で茹で時間の短いおいしそうな生パスタと出会えたわけだが、、。笑

山にはあまりたくさん食材を持ち込めない分、素材にこだわって限られたもので(限られた環境下で)おいしいごはんにするのも、山の楽しみだと思っている。


コッヘルでパスタを茹でながら蓋で調理をする。
オイルサーディンのオイルが具材を炒めるときに活きてくる。

大宴会してる方々ががっつり鍋物とか、現場であらゆる料理を作っていたようなので、わたしたちもテーブルの上でコンロで調理し始めた、、が、、注意されてしまった。。やっぱりだめよね。。

でも床だったらOKとのことだったので床で調理をさせてもらうことに。

しかし普通に考えたら建物内でコンロ調理可能なんてところはあまりない。

くろがね小屋は自由度があっておおらかな山小屋なんだなと。すてき。




 具材が少ないシンプルなパスタになったけれどおいしかった。
なんといっても山で食べられる生野菜の美味しさ。小松菜の歯ごたえが楽しめた。
生パスタもやっぱり乾麺とは違ってモチモチした食感がいい。


山小屋で おいしいランチができて大満足。
(2時間半後にくろがね小屋特製、牛すじカレーの夕飯をいただきましたが、 ぺろりと、おかわりも。笑  我ながらこの食欲、おそろしい、、)



2015年1月13日火曜日

冬の安達太良山 12/30/2014ー1/1/2015

2015年、年の初めは安達太良山に行きました。

初めての雪山で、時間のない中で計画を立てたり装備を揃えたりでばたばたしながらその日を迎えてしまったので反省も含めて見返してみようと思います。

2014年12月30日、
装備のチェック、食料の確認などなど、夜中までかかってしまった。
いつもならバイクで行くのでそれに加えてバイクのメンテナンスなど。
 安達太良山までの道のりは道路が凍っている可能性が高いので、今回は電車で行くことに。
なので少しばかり時間と気持ちに余裕を感じることができたかな、、

12月31日、
JRが季節限定で発券している「青春18きっぷ」を使用して向かうことに。
ローカル線でしか使えない乗車券だけど、目的地の二本松までローカル線で4時間ほどで着くのでバイクより圧倒的に早い。そして「青春18きっぷ」を使うことで2000円ほど安く済む。

そんなわけで今回はいつもよりゆっくりめに家を出て、駅弁なんか買ったりしてゆったりローカル線の旅となった。(年末だったので帰省する人なんかで車内は結構混んでいたけれど、、)


旅の初日は安達太良山の 奥岳登山口にほど近い、岳温泉の宿泊できる公共浴場、岳の湯に宿泊。
地元の人などのはなしでは岳温泉の中でも一番泉質が良くて温度が高いそう。
透明なお湯でさっぱりしていてずっと浸かっていられる感じ。
酸性泉なので酸っぱい。

素泊まりのみなので自炊場もあり、ちゃんと調理できる。
わたしたちは年越し蕎麦として鴨南蛮そばを作るつもりでいたので行きがけに食材を 買い、予定より早く到着できたので温泉に浸かったり、料理をしたり、地酒を呑んだり、次の日に備えてゆったりと過ごした。

2015年1月1日、
新年の朝、温泉に浸かり、栗ぜんざいを作って食べて8:30頃、宿を出発。

歩いて程なくして通りかかった車からおじさんが顔を出して「乗っていきますか?」
と声をかけていただいた。わたしたちはそのおじさん、コガイさんのご厚意に甘えて同乗させてもらうことに。
歩くと1時間半ほどかかる道のりが30分ほどで登山口にあるスキー場駐車場に到着。
しかし意外と長い道のりだったので、この退屈な道路をひたすら歩くハメにならなくてよかった。コガイさんには本当に感謝。

コガイさんは地元の方で、安達太良山にも何度も登られているとか。
言わばコガイさんにとって安達太良山は庭のようなものだろうか。ここで出会ったのもなにかの縁、ということで雪山初心者のわたしたちと一緒に登ってくださることに。

コガイさんのはからいで(?)普通の登山道じゃつまらないということでスキー場のコースから直 登するルートをとった。
そのときすでに雪が降り続いていたし前日もずいぶん降ったのか、新雪でトレースは全くなく、ふわふわの雪は抵抗感のないものだった。
今回の雪山のために購入した念願のNORTHERN LITESのスノーシューはレース用の使用になっているので一般的なスノーシューよりも軽くて短く、取り回しがいい。ただ、その分浮力が多少劣るのかも。。あまり気にならなかったけれど。。
また、スキー場を登っていくのでそれなりに傾斜があり、さらに新雪だととても滑り、スノーシューの能力の限界を早速感じることとなった。

そして、標高が上がるにつれて積雪も増え、途中からラッセルしなければならなくなってきて、これ以上直登は厳しいというところで夏道に進路を変更。

その後はきつい登りもなく、雪質もきしきしと鳴る、歩き易いものへと変わっていった。

つかの間の穏やかで可愛らしい樹林帯の道を過ぎると、今度は頂上へ登っていく、ラッセルも伴う傾斜になっていった。
山頂に近づくと風が強くなり、吹雪いて視界はあまりよくない状態だった。
コガイさんが「この先が本当の頂上ですけど、行くのであれば荷物を見てますよ」と言ってくださったけれど、あいにくわたしたちはまつげを凍らせて強風の中で頂上を目指すほどのタフな精神は持ち合わせていなかったので遠慮させていただいた。
それでも、「せっかくなので」ということで、ほとんど山頂である証の木札が立つ前で、びゅうびゅうと強風が吹雪く中、記念の写真を撮ってもらった。





そして目指す進路をくろがね小屋方面に取り、吹雪の中突き進む。
風向きのせいで登って来た道のりより吹雪いていた。
顔にばちばちと雪が砂のようにあたり、顔の皮膚が出ている部分がとても痛かった。
まつげがさっきよりも凍って視界が狭まり、ゴーグルの必要性を非常に感じた。
さらに、ホワイトアウトまではいかないけれど、真っ白い世界にはわたしたちだけしか存在していないかのようだった。

そうした吹雪をしばらく辛抱しながら歩いていくと風も弱まっていき、高台になっているところから下を見下ろすとぽつんと小屋が見えた。
ようやく、くろがね小屋に到着。
下り坂をざざざっと降りていき、小屋の前に着いた所でコガイさんも立ち寄るのかと思いきや、間髪入れずに下山するとのこと。
「またどこかで」と、さっぱりとした別れを告げ、さわやかに去っていった。
アスリートのような方だった。

行程は4時間ほどかかった。
奥岳登山口からの通常のルートだと2.5〜3時間ぐらいで着くようだが、わたしたちが取った道はラッセルが多かったのでその分かかったのではないかと。

それでも、登山道ではなくてスキー場から直登という道なき道を突き進み、4時間で到着できたのはコガイさんなくして成し遂げることはできなかったことは言うまでもない。

おそらく、誰にも出会わずにわたしたちだけで岳温泉から目指していたとすれば倍以上の時間がかかっていたことだろう。。

コガイさん、本当にありがとうございました。

 【スキー場ー安達太良山山頂経由ーくろがね小屋】

山行は2日目に続きます。

2015年1月11日日曜日

謹賀新年


新年、明けましておめでとうございます。

昨年末から念願のシルクスクリーンの勉強を始めたので久しぶりに年賀状を作りました。シルクスクリーンで。

年末年始は安達太良山で初めての雪山を楽しむ予定だったのでそれを夢想して、7 版刷りで冬の安達太良 山を描きました。
麓を登る人影はわたしと相方が初めてのスノーシューを履いてウキウキしながら雪山を登っている姿を想像して描きましたが、これだけは版画ではなくて後から描きたしたものです。

しかしまあ、意気込んで90枚刷ることにしたのですが、それはもう大変で大変で。
7版刷りなので1枚の紙に対して7つの版を1つずつ刷る作業をします。それを90枚の紙に行うので全部で630回刷ることをしたわけです。
それはもう、修行のような、自分がプリンターになったような。

おかげで刷る技術が上達しました。

来年の年賀状はもう少し色数を減らそうと思います。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。