2016年5月18日水曜日

神津島、病み上がりな1日目ーオジサンとウミスズメー

 ゴールデンウィークの前半、よく晴れた日のこと。 
神津島に着いて1日目。港に着いたのは昼だった。

 前日はバイクで下田まで向かい、温泉宿で素泊まりし (とてもいいお湯で、お寺のお堂のような立派な造りの露天風呂だった)朝、下田港から発ったのだ。
 島にバイクを持っていくかギリギリまで悩んだが、やっぱりどう考えても高くついてしまうので辞めにした。島での移動手段は徒歩か1日4本出ているバスのみ。ポイントを転々としながらキャンプして魚突きをやりたいが、まあ臨機応変に考えていくしかない。

 わたしは出発前にひどい胃腸炎になってほとんど何も食べれない状態にあったが、旅に出れるよう少々荒療治と言えるかもしれない胃腸のリハビリをし、お粥から普通の白米、焼き魚、煮物などの胃に刺激を与えない普通の食事は摂れるようになっていた。
 そうはいっても発熱しモーレツな胃腸炎から5日目。それまで普通の健康状態ではなかったのでいわゆる病み上がり。
 久しぶりの長時間バイクツーリング。くらくらとする日差し。内臓を揺るがす2時間半の船旅。病み上がり早々、なかなかの肉体酷使だ。

 神津島に降り立った時にはぐったりとしていた。さらに、バイクという有能な足を置いてきてしまったので、かなりの大荷物を背負って歩かなければならない。
 この荷物量は雪山の縦走以上にハンパない。何しろキャンプで停泊して魚突きをしようとしているのだから、キャンプ道具に加え、1週間分の米などの生鮮以外の食料、ウェットスーツや潜る際腰につける5キロの重り、手銛などもある。それらを海道具とキャンプ道具で分け、2人で分担したってそれぞれがかなりの量を背負う必要があった。
 特に2人分の重り、つまり10キロの重りが入った海道具の荷物は桁外れの重さなのだ。この前行った雪山縦走なんて比じゃない。、、重りを運んでいるという時点で山を歩くための荷物とは大きくかけ離れているのだが、、。
 これは背負うこと自体が至難の技で、まず、普通に立ち上がることができない。段差を利用して背負うか、ザックの肩掛け部分に腕を通してから地面に両手をつき、バランスを保ちながら全身を使わないと背負うことができないのだ。

こちらはキャンプ道具の方の荷物。まだマシな方


 そんな代物を背負い5月の晴天の下、のろのろと歩き出す。一緒に降りてきた船の乗客たちは自前の車や、泊まる旅館の迎えの車でスイスイと行ってしまった。バイクを持ってこなかったことに早くも後悔してしまいそうになる。。

 しかも港が違っていた。
 降り立って一息つき、地図と現地を見比べてみて、、何かが違う。。そう、裏側の多幸湾側に降りていたのだ。すべて船は前浜港に出入りしているかと思っていたのだけれど、なぜか反対側にいるわたしたち。。
 とにかくここからではこの荷物を背負ってキャンプ場まで歩くことはできない。1日4本しか出ていないバスを待つほかない。亀みたいな私たちにとっての最大の足だ。
 そうして貴重な移動手段に乗り込み、謎が解けたのだ。
なんでも、朝の8時に村内放送で今日の発着の港が伝えられるらしい。通常なら前浜港だが、波が高かったりすると裏側の多幸湾になるらしいのだ。そんなこと全く知らなかった。どこかにそういった情報があったのかもしれないけれど、村内の常識すぎて観光者は島に着くまで知る由もない”島あるある”なのかもしれない。

 バスの運転手さんは饒舌で、なんでも教えてくれた。キャンプ場のことや、島に唯一の品揃えのいいスーパーまでの近道、前浜港前にある「よっちゃれーセンター」の定食は金目鯛の煮付けが丸々一匹ついて安くて美味しいとか、長浜のあのあたりにはブダイぐらいならいるんじゃないかとか。旅行者にとって嬉しい情報から魚突きする我々にとって有り難い情報まで。なんて人のいい運転手さん。職業柄か観光者に親切なだけなのかもしれないが、島人の人柄の良さを垣間見る。


 商店や飲食店が集まる村落で昼食を済まし、散策をしつつ野菜などの買い出しをし、それからキャンプ場に着いたのは日が傾きかけた頃だった。
 朝からフル活動し、太陽光を十分すぎるくらい浴びたクタクタの体でテントを建て、これからしばらく過ごす住まいを設える。



 本当はこの後海に潜るつもりでいたが、そんな気力は少しも残っていなかった。くらくらして頭痛すらある。軽い日射病か熱中症になっているのかもしれない。体が本調子でないにもかかわらず酷使しすぎたか。。
 夕飯のおかずをできれば獲れたらいいということもあり、相方は潜ってくるという。彼もそれなりに疲れているだろうに、食べるものは一応あるしそんなに無理しなくてもよかったが、さらりと行ってしまった。潜るには絶好の穏やかな海を前にして、どんなに疲れていても潜らないわけにはいかなかったのだろう、心情として。

 頭がくらくらとするが、待つ身として、夕飯の下ごしらえぐらいはしなければと、たらたらとやり始める。何か獲れても獲れなくてもどっちに転んでもいいように、ご飯と味噌汁の支度。魚がなければレトルトカレーにしたっていい。

 どれくらい経っただろうか。水を汲みに行ったり夕飯の支度をし、ある程度済んで横になってうたた寝をしていた。気づけば日は沈み、暗くなり始めていた。相方はまだ戻らない。1時間半ぐらい経っただろうか。テントから顔を出し、海の遠くをよおく見てもそれらしい姿は見当たらない。次第に辺りが見えなくなってしまうだろう。海の中はもっと暗いに違いないのにまだ潜っているのか、、?
 3桁の数字が頭を過る、、”118” 。海難においての緊急時の電話番号だ。海上保安庁につながる。
 ただ、海で溺れたらほとんどの場合は助からない。なんらかの状況で酸素が得られなければあっという間に溺れ死んでしまうだろうし、一緒に潜っていても助けることは困難であると感じる。自分自身が危険回避することでしか海では助からないということは相方に口酸っぱく言われ、潜る際いつも意識している。
 ましてそんな状況で118番に通報したところで助かりはしないだろう。しかし、もしものことが起きてしまった時、やはりすがるしかないのだろう。

 ヘッドライトをつけ、海に向かった。彼に限ってそんなことになるはずないと思いつつ、急激に不安になる。
 薄暗くなりつつある水面を探す。すると黒く動くシルエットが浮かぶ。次第に形は大きくなり、人であることが認識できた。足早にしていた足が呼吸とともに緩やかになる。
 辺りはもう、ほとんど暗くなり、ヘッドライトなしでは歩くには困難なツルツル滑る岩場に近づくとようやく姿かたちが見えた。腰には二匹、魚がぶら下がり、意外に水は冷たくないので時間を忘れて潜ってしまっていたと言う。わたしより潜り慣れている相方がまさかとは思ったが、、単なるわたしの思い過ごしだった。




 獲れたのは”オジサン”と”ウミスズメ”。
オジサンはまさに”おじさん”のようにあごひげが生えているのでオジサンと呼ばれている。
どうやらスズキの仲間らしい。
 そしてウミスズメはその場で調べてそれと判断できた。ハコフグより大きく、背中にツノがある。初めてなので食べ方はわからないが、ハコフグ同様に甲羅のような皮をしているのでとりあえずお腹をハサミで開き、下処理をする。
 オジサンも捌いているうちに蟹がうようよと。磯に流した内臓につられて蟹が集まってきたのだ。
意図せずおびき寄せられてきた蟹を、捌く傍で条件反射的に捕まえていく相方。
獲物がまた増えた。

オジサンとウムスズメとカニ。暗い磯場で撮影したので分かりづらくてスミマセン

 
 ウミスズメの食べ方と、念のため、毒性を調べた。
食べ方としてはハコフグ同様、お腹を開けて内臓を取り出し中を洗い、肝だけをお腹に戻し、味噌と刻みネギ、酒を加えて混ぜ、お腹の蓋をして焼いて食べるのが一番美味しいよう。以前ハコフグでそれを食べたがかなり美味しく、また食べたいと思っていた。
 しかし毒性を調べていくと、パフトキシンと言われるハコフグと同様の皮膚の毒があり、それは人間にとっては大した毒ではなく皮を食べなければ問題ないのだが、それ以上に恐ろしい有毒成分があるかもしれないことがわかった。
 それはパリトキシンという毒性で(名前が紛らわしい、、)それによる食中毒の報告もある。ハコフグかウミスズメのどちらかが原因らしく、まだ詳しくはわかっていないようだが、ハコフグに関しては専門家が処理したものは販売可能であり、ウミスズメは販売できないらしい。その時点でウミスズメが十分怪しいが。。
 しかもそのパリトキシン、口から摂取した場合の青酸カリより毒性が強いと言われるフグ毒・テトロドトキシン(致死量は2g)よりも数十倍毒性があるらしい。。またウミスズメの肝と筋肉を食べて死亡したという報告もあるという。。

 ハコフグの味噌焼きのやり方でこんがりといい調子に焼けていたが、さすがに怖くなり食べるのはやめにした。食べられるかわからずに突いてしまったのは良くないが、甘く見て食べてしまって死んでしまっては元も子もないので仕方がない。
 突いてしまったウミスズメには申し訳ないので相方は埋葬し、ウミスズメはもう獲らないこととした。

 わたしは魚の知識がほとんどなく、いざ銛を持って潜っても知らない魚ばかりだと躊躇して突くことができない。イキイキと生きる生き物に対し、自分の手で息の根を止めるという責任を未だに負えていないということが大きいが、さらにそれを美味しく食べることができるかどうか定かでないと自分がその生き物をなぜ殺す必要があるのかと疑問に思ってしまい、自分がいまやっている行為自体、疑問に感じてしまうのだ。
 わたしたちがやっている魚突きは生活がかかっているわけでもなく、むしろ遊びなのだが、だったらやらなきゃいいだろうと自分に対して思う。だけれども、やっぱり生き物を、簡単に手に入る食べ物でしか判断できなくなってしまうような感覚は、生き物としての自分自身を危うくしてしまうと感じる。これは自己満足でしかないのかもしれないが、自然と向き合うことで自分自身を生かすという本質を見つめることができるのではないかと思ってやっているところがある。

 だから今回のウミスズメのことを思うと、獲物を知ることが自然と向き合うことだよなあと尚更思う。獲ったものをとりあえず食べてみて知るということもあるが、今回のように食べたら死ぬ可能性のある生き物はいくらでもいるだろう。毎度知らずに食べてたらあっけなく命を落とすかもしれない。
 とにかく、もっと知る必要がある。少なくとも自分が潜ろうとする海にいる生物のことぐらいは。 まだ潜る前のことなので表面上の海の表情ではその中にある景色は知る由もなく、そうなるとまだ実感も湧かないのだが。今回は魚を突くために、相手を知り、覚悟をしようと思う。


 オジサンは刺身と塩焼きにして食べた。刺身は甘みがあり、塩焼きは淡白ではあるが塩で旨みが引き出され、いい味だった。蟹は出汁をとり、味噌汁にした。濃厚な蟹汁は本当に美味しい。



 ただ、残念なことに頭痛と気持ち悪さで食欲はあまりなく、少し食べてばたんきゅう。。


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