2016年5月25日水曜日

神津島、潜り潜る2日目

 ぱきんと目覚めた2日目。
前日の頭痛と気持ち悪さは嘘のようになくなり、体はすっきりとしていた。
 5時前。清々しい早朝。
テントの入り口をめくると、しっとりとした景色が向こう側にある。
陽が覗く前の空気は薄青く静まり、冷んやりとする。

 ゆっくりとチャイを作る。
普段はコーヒーばかり飲んでいるが、胃腸の状態が良くないので今回は思い切って持ってこなかった。
代わりに、スキムミルクと黒糖をたっぷり入れた、濃厚なチャイを作る。





 目の前の浜辺には天草が干されている。パッチワークのように配色された花壇みたいだ。
その先の水平線には一艘の白いヨットが浮かんでいた。
 ぼんやりと、チャイを啜りながら、ゆったりと流れる朝の時間を眺めていた。
やがて白いヨットは、空の向こうへ吸い込まれていった。




 ゆっくりと支度をはじめる。
顔を洗い、歯を磨きながら体を大きく伸ばし、首や腕などをぐるぐると回す。
 テントで眠ると少なからず体が凝り固まってしまうので、それをほぐしてやる。
また、筋という筋を伸ばし、海の中で体がつってしまわないようにする。

 5時、6時、7時とまわり、陽はいつの間にか昇ったのか、辺りに光が差していた。
 銛を組み立て、身支度を済ませ海へと向かう。
上下水着姿で海水に浸かってみる。思わず、ひぃぃっ、とこぼし、身が縮こまる。
 陽の射しはじめたばかりの海はまだ眠っているかのように冷たい。地上に比べ、朝がやってくるのが少し遅いようだ。これから徐々に陽に起こされるのだろう。
 一瞬戸惑いながらも腰まで浸かってしまう。そして、海水を手で掬って肩に掛け、頭から潜る。
 ひゃー、冷たいー
 喚きながらもウェットスーツのロングパンツを手元に引き寄せ海水に浸し、素早く慎重に、足を通していく。
ぐいぐいとたぐり寄せ、腰まで履いてしまえばこっちのもの。
 そしておいてけぼりになっている上半身。朝の風が吹き付けてくる。
 そそくさと上半身に着るウェットスーツの中に海水を流し込む。
 両腕を先に通し、それから頭からズッポリかぶって体を通すのだけど、久しぶりに着るのでこれでいいんだったか戸惑う。しかし腕は通してしまったし、体に風が当たって寒いので、いつまでもこうしてはいられない。
 思い切って腕と腕の間のウェットスーツの隙間に頭を突っ込む。苦しい。早く脱出しなければ。
 少し焦りながら頭のてっぺんで出口を探し、たどり着く。ぐいぐいぐいと頭を脱出させたが、顔から顎にかけての脱出が一苦労。うまくいかないとなかなか抜け出せなくて息苦しくなってくる。そうすると少々無理に顔を引っこ抜かなければならない。
 ウェットスーツに傷がつかないように、爪を立てないように生地を思い切り引っ張り、顔面を救出する。その際髪の毛が巻き込まれて引っ張られる。痛いのだが、顔の救出に全力を注いでいるので何本か抜けてしまった髪の毛にはかまってられない。
 そうしてなんとか暗闇から這い出れば一呼吸、落ち着くことができる。
 それから耳が折れ曲がらないように気をつけながらフードを被り、フィンブーツを履く。グローブをつけ、腕にゴムベルトでナイフを装着し、重りのベルトを腰につけ、メグシとナイフの落下防止のフックをベルトに引っ掛ける。
 頭に水中メガネを乗っけてフィンを履けばおしまいだが、ここまでたどり着くまでに30分はかかっている。潜るにも、一苦労だ。

 1年ぶりの海なので、わたしはまず手銛を持たず、潜る練習をする。
180センチもある手銛を持つと、そればかりに気を取られ、ただでさえ潜れないのにもっと潜れなくなってしまう。魚を突くのも潜るのも、どっちもまともにできないのでどっち付かずになり、何もできずに終わるという残念な経験を以前にしたことがある。
 なので、まずは潜る練習をと思い、手ぶらで海に入る。
 それでも腕にはナイフをつけ、腰にはメグシをつけて。魚突きをするときの道具を身に付けることに慣れる。また、魚を突かなくとも潜っている時に釣り糸が足に絡まってしまってどうにもいかない時など、ナイフに助けられることとなるだろう。

 
 浅瀬から、流れに身を任せ、すぃぃ、と入る。
シュノーケルを咥え、海の中を眺めながらプカプカと、そしてたまに漕いでみる。
 海の中は静かだった。はじめは少しばかりの波に揺すられ、波から起きた小さな泡や、静かに揺れ動く赤い天草が前を覆う。天草の森を抜け、赤茶色の海藻が施されシックな装いをした岩々をすり抜けていくと、次第に視界は広がり、底を見下ろす。ゆらゆらと、海面のリズムに合わせてキラキラとした光が踊る。
 時々、派手な色をした小さな魚がわたしの体の下や脇を軽々と通り抜けてゆく。
 向こうで、相方の潜っている姿が見えた。




 ふわふわと、流れる景色を眺めていた。
 岩々は、遥か下の、手の触れられないところにあった。海底は白い砂地になっていて、ぽこぽこと岩が並んでいる。岩と岩のあいだを、少し大きめな黒と白の縦縞模様の魚がスイスイと泳いでいく。あれは何がったか、、ナントカダイ。
 それはこの旅のあいだ幾度となく見かけることとなるタカノハダイだったのだが、このときの私は、あれ?もしかしてイシダイじゃないか?!と思い込んで興奮気味だった。
 イシダイって確か高級魚で脂が乗ってて美味しいんだっけ。どうしよう、真下にいる!、、でも手銛を持っていないし持ってたところで私には突けないだろうな、、なんて。
 後々調べてみれば色もかたちも全く違っていた。海に入る前にネットで何となしに見ていてもピンとこないのだけど、潜って出会った姿かたちや泳ぎ方でこれは誰なのかということが徐々にわかってくる。

 体が海に馴染んできた。
 呼吸を落ち着かせ、おもむろにシュノーケルを口から外す。すーっと深く息を吸い、鼻をつまんで軽く耳抜きをし、頭から、自分の体を目がけるように水に入り込む。足を漕ぎ、体を底へと向かわせる。
 見下ろしていた景色が目の前に迫る。指先で岩に触れる。
 頭がぴきぴきと痛くなってくる。すぐに上昇。顔を海から脱出させ、空気を取り込む。
 やっぱりか。耳抜きがうまくいかない。抜け切れてないのだろうか。潜ると頭の奥がぴきぴきとするので海の底で留まっていられない。
 どうにもうまくいかないので、時間をおいては海底へと潜る。しかし、力んではならないので、あまりそればっかりを考えないでふわふわと泳ぎ、不意に潜る。

 やがて人口的なブロック群が現れた。魚礁というやつだ。
四角い空洞のブロックがいくつも並んでいて、中を覗くと脚の長い、紫と白の配色の綺麗な色をした蟹や、大小の魚が行き交うのを見かけた。ブロックの影にとどまり、海藻を食んでいる魚もいる。多くの生き物がここを住処としているのだろうか。または交差点のような場所なのか。広大な砂漠の中にぽつんとあるオアシスのようでいて、大きな都市のようにも見える。
 魚礁ブロックの上には大きなシッタカがごろごろと張り付いていた。こんなに大きなシッタカは浅瀬にはいなかった。ここまで人はあまり来ないからなのか、或いはシッタカなんて誰も見向きもしないのか、獲られずに、ここまですくすくと大きく育ったのだろう。
 シッタカは茹でて食べると歯ごたえがあって美味しい。これらの貝はとっても怒られないってバスの運転手のおじさんは言ってたっけ。
 シュノーケルを外し、息を止め、手を伸ばす。
3、4個シッタカを拾い、魚礁の都市を後にした。



 向こうに目をやるとオレンジのブイが見える。相方の居所だ。ブイの何メートルか先で潜っているのだろう。
 追いかけていき、ブイを捕まえる。ブイにぶら下げていた網袋にシッタカを入れ、ぶらぶらと水面に浮かぶペットボトルを捕まえて水を飲む。少し塩水を飲んでしまっていて口が塩辛くなっていたので助かった。

 しばらく相方のそばで潜っていると唐突に海底に潜ってゆく姿があった。そして、海底に向けられた銛。獲物を捕らえたのだろうか。

 銛を手に持ち、ふわりと浮いてきた。よおくみると銛先に刺さっている。仕留めたのだ。




 わたしに気づき、こちらへゆっくりと向かってきた。
 小さな歯がじゃぎじゃぎに並んだ口。赤色が斑らに入った体。ブダイだ。お腹にぶすりと銛先が突き刺さっている。
 わたしのメグシに通してほしいということだろう。お互いにシュノーケルを咥えているので言葉は発せられず、何となしに察する。
 わたしの手元に獲物が向けられる。ジタバタと動くブダイを手でしっかりと押さえ込み、エラにメグシを通そうとする。
 通らない。すんなりといかず、躊躇してしまう。
 自分の手で、魚のエラから口へとメグシを通すのは初めてだった。今まで、相方がやっているのを横で見ていたけれど、実際に自分でやってみると思うようにいかない。ブダイはまだちゃんと生きていて、まだまだ生きようと必死であらがう。赤い水が、もわもわと舞う。
 わたしは怯んでしまう。けれど、待ってはくれない。
 思い切って手に力を込め、エラからグイグイと刺し、出口を探す。
 ようやく、口から金属の先端がのぞいた。


 
 体に刺さった銛先を抜く。弁のついた羽のような形状になっていて、突いた獲物が逃げられない構造をしているのでそう簡単には引っこ抜けない。無理に引っ張ると体がちぎれてしまいそうだ。
 どうにもいかないので銛先の接続部分を外してそちら側から引き抜く。

 銛先が魚から離れ、メグシにつながるコードにぶら下がり、重みが伝わる。
 続いて、魚を絞める。
 腕からナイフを抜き取り、目の脇にナイフを刺す。
 この行為も初めてで、手に力が入らない。左手で押さえた魚が脈打ち、蠢いている。わたしの鼓動も騒いでいる。
 見かねた相方がわたしを導く。
 そして、手伝ってもらいながら刃先が刺さる。思った以上に固くて、手に力を込めないとならない。生半可な気持ちでできるものではなく、”断つ”という意識がなければならない。それこそ躊躇なんかしてられない。
 どこかで決心がついたのか、吹っ切れたのか。
 意志を持ってナイフを強く握る。
 ざくざくと刃を入れていき、髄を断ち切るようにとどめを刺す。これが甘いといつまでも魚は意識がある状態で、苦しみ続けることとなる。
 髄は硬く、結構な力を要す。わたしはうまく急所を捉えることができず、何度も何度も刺すような、魚を苦しませるようなことをしてしまった。だんだんと自分自身も苦しくなり、弱気になってしまうが最後までやらなければならない。
  何度か刺し込んで、魚は絶命した。
 





 その後相方はもう一匹仕留めてきた。あの、わたしも見かけたシマシマの魚、タカノハダイだ。



 その魚もまた、わたしの手に渡され、先ほどと同じ工程を行う。今度は完全に自分の手で。
 やはりメグシを通す時、急所を断つ時、魚の息遣いとともに私の胸も激しく打っている。そう簡単に慣れっこない。それでも躊躇せず、手を動かしてゆく。的確とは言えないが、先ほどの感覚を糧に、先ほどよりも魚と向き合う。


 わたしの腰には二匹の魚がぶら下がり、ずっしりと重みを感じながら陸までゆっくりと漕いでゆく。

0 件のコメント:

コメントを投稿